おれは二十面相だ
消えうせた大学生
五月のある日のこと、麹町の高級アパートにある明智探偵の事務所へ、ひとりの老紳士が、たずねてきました。
ふさふさとした白いかみを、オールバックにして、白い口ひげをはやした、やせがたで、背のたかい、りっぱな老紳士です。
この人は松波文学博士で、あるお金持ちがたてた古代研究所の所長なのですが、西洋の古代のことをしらべている、有名な学者でした。
明智探偵は、ある会で松波博士とあったことがあるので、知りあいのあいだがらでしたが、その有名な老学者が、とつぜんたずねてきたのです。
とりつぎに出た小林少年は、松波博士と聞いて、ていねいに、応接室にあんないしました。
「明智さん、わたしのつとめている古代研究所に、みょうなことがおこりましてね。きょうは、あなたのお知恵をかりようとおもって、うかがったのです。」
松波博士はいすにかけると、すぐにそう口をきりました。
「みょうなことと言いますと?」
明智がたずねますと、博士は話しはじめました。
「古代研究所は、ついこのごろ、世界にたった一つという、古代エジプトの経文を書いた巻き物を手に入れたのです。わたしたちの研究所の木下博士が、イギリスで見つけて買って帰ったもので、そのことは新聞にも出ましたから、ごぞんじかもしれませんが、お金にかえられない、世界の宝物です。
ところが、この巻き物には、おそろしい、いいつたえがあるのです。それのおいてある部屋には、なにかしら、ふしぎなことがおこるというのです。イギリスでも、いろいろ気味のわるいことがおこったらしいのですね。それで、この巻き物の持ち主がこわくなって、売る気になったのです。
小林少年の冒険
明智探偵と小林少年は、松波博士のあんないで、古代研究所の大きなたてものにはいり、エジプトの部屋を、すみからすみまで、しらべましたが、秘密の出入り口などは、すこしもないことがわかりました。窓の鉄ごうしも、とりはずしたあとなど、まったくないのです。
明智探偵は、一時間もかかってしらべ終わると、小林少年をそばへよんで、なにかひそひそとささやいていましたが、向こうに立っていた松波博士のところへいって、こんなことをいいました。
「松波さん、わたしは、巻き物ののろいなんて信じることができません。ひとつ、こんばん、実験をやってみたいと思いますが、どうでしょうか。」
「実験といいますと?」
「ここにいる小林君が、エジプトの部屋で、夜あかしをして、ためしてみたいというのです。小林君まで消えてしまってはたいへんですが、けっして、そんなことはおこらないとおもいます。ひとつ実験をさせてみようではありませんか。」
それを聞くと、松波博士は、
「それは、きけんではありませんか。わたしは、小林君の身の上をうけあうことはできませんよ。」
「いや、わたしが責任をもちます。この小林君は、これまでにいろいろな事件で、いのちがけの冒険をやっていますから、だいじょうぶです。知恵もすばやくはたらきますし、力も強いのです。それに、わたしには、ちょっと、考えていることもありますから、けっして、あぶなくないようにします。」
そうして、しばらく押し問答をしたあとで、いよいよ、小林君がたったひとりで、そのばん、エジプトの部屋で夜あかしをすることにきまりました。
やみの中の手
パッ、パッ、パッ……、たった一つの電灯が、またたきをするように、消えたり、ついたりしました。
はじめは、ゆっくり、またたいていましたが、やがて、だんだんはやくなり、パチ、パチ、パチ……、ほんとうに、怪物がまたたきしているようです。
小林君は、おもわずいすから立ちあがって、身がまえをしました。おそろしい、ばけものでもあらわれてくるのではないかと、思ったからです。
電灯がまたたくたびに、部屋の中のいろいろなものが、動くような気がします。
むこうの壁に、たてかけてあるミイラの棺のふたが、半分ひらいて、そこから白いきれが、幕のようにあらわれています。ミイラの頭の上から、かぶせてあるきれが、はみ出しているのです。
その白いきれが、風もないのに、フワフワとゆれ動きました。
ミイラが、動き出したのでしょうか。いまにも、ああ、いまにも、黒いミイラが、あのふたを、もっとひらいて、こちらへ、歩き出してくるのではないでしょうか。
おわり